究極のやりたいこと
- 2008/06/22(Sun) -
つい最近、「うつ病を体験した精神科医の処方箋」(蟻塚亮二著)という本を読んだ。

日本人の5〜7人に一人がうつ病を経験する、とは以前からよく耳にしていた。確かに私の周りにもたくさんうつ病経験者がいる。

ずっと前の話だが、私自身、このままいけばうつになりそうだと感じていた時期があった。
悩みを誰にも話したこともなく、逃げ出すこともできなくて、それでも逃げたい欲求は常にあった。外面に出すことはなく、家族にも友人にも気取られることはなかった。
むしろ、気持ちが重い時にはつとめて陽気に振舞うので、同僚に「今日はえらい調子ええなぁ」とさえ言われるほどだった。

基本的に大雑把なところがあるせいか、気持ちを切り替えて集中しないといけない趣味の場があったせいか、いろんなジャンルの友人がたくさんいてくれ、家族がいてくれたおかげか、うつ病にまでは至らなかった。

子供の頃、半ば人生を捨てたような気持ちで生きていた時期もあり、これ以上カッコ悪いことないだろ、という状況を何度も経験していたので、最後は開き直ってやるという気持ちがどこかにあったような気もする。

それが、私ではなく家族がうつを経験することになった。
のちのち、マンガ「ツレがうつになりまして」を読んで、まだここまでじゃなくていいほうだと思ったが、最初の頃はどう対応してよいか分からず、おそらくは言ってはいけないことを無意識に言ってたりしたと思う。
うつ病関連の本を読み進むほど、自責の念にかられてしまう。

「希死念慮」という言葉を初めて目にした。
自殺願望とは違って、理由もなく死にたくなる症状で、ふいに訪れることが多いらしく、著者自身も強い希死念慮に襲われたのが、精神安定剤一錠で、「なんで死のうとしたんだろう?」と思うくらいあっけなく症状が消えた、とあった。
自殺者にも死にたくて死んだ自殺と、自分でもよく分からないまま死んでしまった自殺があるのではないか、と語っている。
心の問題だからなんとも複雑極まりない病気だと思う。

文中に、非常に感銘を受けたフレーズがあった。
「人生も仕事もプレイ」
いい言葉だ。

私の家族は昨日仕事を辞めた。
「資格があるからなんてことにとらわれずに、好きなことをすれば」
と私は言った。

ほんとうに好きなことをして生きて行きたい。
経済的な理由などでそうもいかないではないか、と言う前に、ほんとにやりたい好きなことってなんだ、と自問してみる。
あれもこれもやってみたいといくつも列挙してみるが、ほんとにほんとの究極のやりたいこととなると何も浮かばない。
何もしないことか、とさえ思ったりする。

そんなことを考えながら今日は音楽ばかりを聴いている。
今聴いているのは、なぜか基本に返ってソニー・クラークの「Cool Struttin'」。
この記事のURL | エッセイ | CM(2) | TB(0) | ▲ top
金子光晴にかぶれた頃もあった
- 2008/01/25(Fri) -
NHKの金子光晴の特集番組を見た。
「父とチャコとボコ〜金子光晴・家族の戦中詩〜」というタイトルだった。

金子光晴を知ったきっかけは、高校3年生の時に買った新潮文庫の上・中・下全3巻、伊藤信吉編の「現代名詩選」(現在絶版)を読んでだった。
それこそ宝石箱みたいな詩選集だった。その文庫本で、萩原朔太郎、中野重治、中原中也、立原道造らの詩に出会った。

番組を見て、今でも覚えている詩句が結構あったことに驚いた。

息子の徴兵を免れるため松葉を燃やしていぶしたり醤油を飲ませた、という有名なエピソードも、当時は、もし日本が再び戦時体制に突入すれば、徴兵を忌避するために有効だろうか、などと自分を金子の息子になぞらえてぼんやり考えていた。

いや、ぼんやりだったかなぁ・・・。
大学生になって、戦後にどっと出た小説群を読んでいくうちに、切ないまでの人間の生への思いに触れて感動したり、戦争の残虐さや兵士同士の醜い打算、いじめなどを嫌悪する思いは強まった。怒涛のように量産された日本文学の名作を読みふけった頃だった。
金子光晴の自伝を読んだのもその頃だ。

今回、十代の頃に読んだ詩を再びテレビ画面で読んでみると、ずいぶん印象が違った。

自分の一人息子を若い魚に喩え、絶対命を失わせたくないという親の思いに強い共感を覚えた。
苦しいまでの子供に対する愛情は、今ならとてもよくわかる。

今思えば、当時は金子光晴の視点を単に反戦思想、反俗思想という部分でしかとらえていなかったのだと思う。もちろんその重要性はメインテーマであっただろうが、子供に対する思いをあらためて詩句から思い知らされると、生身の金子光晴を少しばかり理解できた気になった。

当時、せっせと読んだ小説も、たぶんそんなふうに今読めば、どれもかなり印象が変わるだろうと思う。
そんな意味でも、案外、歳をとることはおもしろいのかもしれない。


普段、音信不通の長男がこのあいだメールをくれた。
発熱と嘔吐で苦しい、という内容だった。


水に入った、泳ぐ魚のようにしなやかで、壊れやすい長男の姿が浮かんだ。
この記事のURL | エッセイ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ